教育経営コンサルタント 代表 水田耕三です
私はこれまで、教育関係、住宅建築・プロデュース業、ホテル・旅館、ブライダル業界で様々な仕事を経験させて頂きました。
その中で、新規事業の立ち上げから成功までや、衰退しつつあった老舗ホテルのV字回復の請負などの成功体験と同時に、大小合わせれば実に多くの失敗も経験してまいりました。
それら多くの成功と失敗体験の中からつかみ取った知識、経験、ノウハウを活かした実践型コンサルタントとして特に従業員が50人前後の経営者さまの願いや悩みをお聞きし、結果にこだわったコンサルティング業務を行っております。
「水田耕三の経歴」
1981年~1988年 結婚式場 チーフマネージャーを経て
1988年 株式会社教育総研・能開センター(現在WAOコーポレーション)に入社、新規事業参入及びM&A補佐的業務に従事
1992年 前社取締り役のヘッドハンティングに伴い、住宅業界へ転職
2000年 住宅プロデュースと言う分野を開拓し株式会社ザウスコミュニケーションズ設立と同時に住まいの適塾代表に就任
2001年 建築ビジネスモデル特許を取得(共同発明)その後取締役会長。
2004年 経済産業省住宅関連NB支援検討委員
2009年 兵衛向陽閣入社:社長室長・人事教育部長兼務
2010年 CRM協議会ベストプラクティス賞受賞
2011年 接客サービス部 支配人。
2012年 直販部 部長
2014年 教育経営コミュニケーションズ設立 代表
2017年 教育経営コンサルタントに社名変更
コンサルタント・セミナー講師・講演活動などをはじめ、人材教育・研修制度による人財育成、
ビジネスに不可欠な女性心理を理解するためのワークショップ、
ホテル・旅館、工務店等において営業支援経営向上コンサルティング、
女性の積極登用、人事制度改革のアドバイスを行っている。
資格・教育活動
YMCAホテル学科非常勤講師
国際サイクルマップ認定講師
神戸倫理法人会 専任幹事
ビジネス交流会「恵縁会」主宰
苗字名前詩 書家
水田耕三の人生物語と自己紹介
~人生は片道切符~ Life is One Way
先日ある人に、私の人生での様々な出来事をお話していたときのことです。
「水田さんが生まれた目的は教師になることだったような感じですね。お話をお聞きして、人生を通じてそのようなサインを感じますよ」と言われました。
思い返せば確かに、私は子供のころより人に教えることが好きでした。
【エピソード1】
中学生の頃、成績のよくない者同士、何とか一緒に80点くらい取りたいなあと、中間テストや期末テストの前なると、いつも私が問題集を手作りし、友達と一緒にテスト準備をし、それなりの成績を修めておりました。
そのうち、全教科を私がひとりで作るのは大変だということで、友人それぞれ得意の教科をひとり一教科というように担当制にして、勉強しておりました。
その結果、友人たちも含め、5段階評価で4くらいを取れるようになりました。
今から思えばそのころから、まとめを作ったり、問題を作ったりして、人が成長するのをみるのが楽しい!快感!と思っていたところがありました。
大学受験も、私は推薦で決まっていたので、まだ進学大学が決まっていない友人のために、問題や要点集のようなものを作ってあげ、大学入試に見事成功したということもありました。
【エピソード2】
大学時代、地元姫路を離れた友人たちがそれぞれ東京、京都、千葉、大阪に下宿することになり互いの暮らしぶりを仲間で共有したいと文通みたいな新聞を発行!
その名も『ボイスカントリー』
毎月一回私の下宿に近況報告が届き、それをまとめて編集して挿絵や写真も入れて新聞に仕上げてまた皆の手元に送付する。
携帯もパソコンも普及していない時代です。すべて手書き・手作りで作り上げました。大変な時間も要しましたが、仲間の事を思いながら書いているので、喜んでくれるかなと期待と充実感で楽しかった思い出です。
大学卒業後 26歳で100号まで続けることができ、35年以上経った今でも、その時の思い出が同窓会の度に話題になっています。
また、大学生になった私は、所得の低いご家庭のお子様の家庭教師を無料でやったりしておりました。
中学時代に出会った先生の影響と大学時代の地域でのボランテイア活動の影響で自然と学校の先生になることを強く意識するようになったのです。
そして、教員採用試験を受けるも、教員採用25名に対して650名の受験者
結果は、、、、、見事不合格
小学校・中学校での産休補助職員をしながら、翌年も教員試験に挑戦するも、またもや失敗。。。
教員を諦められない気持ちと親に迷惑をかけれないという気持ちの狭間で、
もう1年間だけ挑戦したいと結婚式場でアルバイトをしながら受験勉強を。
しかし、劣悪な労働条件で残業も多く、徐々に受験勉強をする気力も体力もなくなって行きました。
その職場には研修指導も特になく、マニュアルも皆無に近い状態で、先輩のやることをみて覚えたり、言われたことを訳もわからずやるしかありませんでした。
【エピソード3】
「教えてくれないなら全ての業務のマニュアルを自分で作って先輩たちに教えてもらえなくても、アルバイトでも同じような仕事が出来るようにしよう」と思い立ち、
1年近くかけて披露宴サービスマニュアル、式典マニュアル、各種宴会マニュアル、受付業務マニュアルなどなど、当時もまだワープロやパソコンの使えない時でしたので、全て手書きで写真も貼って作成しました。
いつしかそれらの仕事で本気モードになり、教師になるよりこの会社を改革することの方が面白いと思うようになって、教師になることを諦め、その会社に就職したのです。
そして、入社7年後についにチーフマネージャーとなりました。
【エピソード4】
このチーフマネージャー(支配人)の辞令をもらえた理由は、、、、
日頃は派閥争いをしている8名の仲居リーダーさん(全仲居120名のリーダー8名)が社長の自宅に押しかけ、「何故水田さんがいつまでもトップになれないのか?上司は何処を見て評価しているのか!」と言ってくれ、結果支配人を任命されたのです。
このことを後日社長から知らされて、感激と感謝で泣けました。
それ以来、女性が一番凄い!女性が頑張れるように応援すること!女性には逆らわない事!を決意したのでした。
このエピソードをお話しすると、「なぜ、そのように女性に応援されたんですか?秘訣を教えてください」と聞かれることがあります。
私は、ビジネスにおいて、女性の心を理解し、女性の力を発揮して頂くことが、どれほど大切かを日々のコンサルティングでお話ししております。
詳しい話は別のテーマでお話ししますので、楽しみにしていてください。
さて、タイトルに書きました「人生は片道切符」ですが、人は生まれてきて天に召される日まで、その人生は誰しも片道切符で引き返すことはできません。
その片道切符で進む人生の道行きで出会える様々なご縁を大切にし、いつか別れの日が来たとき、
「あなたに会えてよかった」と思われるかどうかを心に尋ね日々を生きたいと考えています。
あなたさまとご縁があることを心より願っております。
経営コンサルタント 水田耕三
対応エリア
全国(特に近畿・関西一円 兵庫、大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山、三重)